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演劇は死んだりしない。でも、演劇などの芸術に携わる方が、生きていけない社会は困る!!

コロナ感染拡大を防ぐために、たくさんの舞台芸術の公演が
キャンセルされるようになりました。
まだ3月になったばかりのことでしょうか。
野田秀樹氏が、「劇場閉鎖は演劇の死」と、
公演自粛に対して意見書を出されました。

それについて、様々な意見が出てきましたが、
私もすごくすごく思っていることがあるので、今日はここにその思いを書きたいと思います。

 

 

目次

演劇は死んだりしない

 

当然ですが、演劇は死んだりしません。
演劇は、人類の歴史と同じくらい、古い歴史を持っていると思います。
私がポーランドまで行って研究していたグロトフスキは、
「私たちの動きが踊りで、言葉が祈りだった」頃まで遡り、
演劇の本質を探りたいと、リサーチをしていた人です。

演劇を始め、全ての表現芸術は、
人が人として生きるために、とても重要なものだと私は思っています。

アウシュビッツの中で、
「この地獄の中で、人間らしさを失わずにいられたのは、芸術があったからだ」という
言葉を見たことがあります。
収容されていた人たちは、隠れて、お芝居をやったりして、
心に栄養を与えていたのです。

そう、芸術は、私たちの人生から、絶対に切り離せないものです。
だから、
劇場が閉鎖されたくらいで、演劇は絶対に死にません。

でも、演劇などの芸術に携わる方々はどうでしょう?

お仕事がなくなったら、それこそ、生きていけないです。

そういう人たちを、支援しなければ、質の高い演劇は死んでしまうかもしれません。

 

グロトフスキは、演劇には、俳優と観客しかいらない、と
それ以外の全てを排除した「貧しい演劇」で知られる人ですが、
彼は後年は、お芝居を作ることさえやめて、俳優修行のリサーチを続けました。
彼が、商業演劇とは無縁の演劇のリサーチを、死ぬまでできたのは、
文化芸術を支援してくれるヨーロッパにいたからだと思います。

ドイツのメルケル首相も、
「芸術支援は最優先事項」だと言い、支援をしています。

でも、日本では、芸術支援は最優先事項だなんて、思われていませんよね。

日本は、目に見えないものを大切にできていない国?

 

日本で、芸術が大切にされないなと感じてしまうのは、
今回のことだけではありません。

私は演劇を使ったセラピーを行うドラマセラピストですが、
芸術でも、心を扱うものでも、
どちらもとっても重要なものなのにもかかわらず、
日本に戻ってきて、本当にこの国は、大切さをわかっていないなと常々感じてきました。

目に見えないものは、価値がないもの。
お金をすぐに産み出さないものは、意味のないもの。

そんな感じのメッセージを、強く感じます。

また、日本では、
仕事は苦しいもの
というイメージが強くて、
好きなことを仕事にする、ということが、なんだか罪深いことのようにさえ思えてしまうこともあります。

だから、
演劇やって、好きなことやっているんだから、我慢しろよ。
みたいなことを言っちゃう人だっているのです。

好きなことを仕事にできることは、簡単なことではありません。

勇気も忍耐も必要です。

好きなことを仕事にするのは、簡単じゃない

 

子どもの頃、私は漠然と女優さんの仕事に憧れていました。
でも、自分の見た目もよくわかっていたし、
そんなことは無理だと思っていました。

それでも演劇を学びたくて、イギリスに行き、
グロトフスキを知り、商業演劇ではない演劇の世界を知り、
精神修行としての演劇に興味を持ち、
最終的には、ドラマセラピーを志すようになったことで、
私は仕事としての演劇を見つけることができました。

本当に良かったと思っていますし、
これが私の場所だと信じています。

でも、私の中で、演劇そのもので生きていく、
つまり女優さんとして生きていく道は、
とても怖くて、難しいものだと感じていたことを覚えています。

今では、私のワークに、
プロの役者さんも参加してくださるようになりましたが、
彼女たち、彼らを見ながら、
ただただ尊敬の気持ちを感じています。

だって、あんなにも大変な世界で、生きていっているのですから。

好きだけじゃあやっていけないのです。

ものすごく努力されているものわかるし、勉強されているものわかります。

そう、仕事なのですから、やっぱり彼らも、苦しい思いもしていることでしょう。
でも頑張れるのは、好きだから。

好きなことに挑戦することは、とっても勇気のいることです。

大学を卒業した後、私も何度も言われました。
「そんなことで生きていけるわけないのだから、趣味でいいじゃない?趣味として続けていけば」

怖かった私は、だから最初、会社員になったのです。
演劇の道を目指すことが、怖かったのです。

好きなことをしているんだから、お金もらえなくても我慢しろ、
なんてことを平気で言える人は、
きっと、好きなことを仕事にする勇気と忍耐がある人に、
嫉妬しているんじゃないかなと思います。

嫉妬は、
本当は自分も「好きなことを仕事にしたい」と願っているという
心の叫びに他なりません。

 

人生の中で、私たちを救ってくれるものは

 

演劇の死と、野田秀樹氏が言われたことに対して、
いろいろな意見が出てきたけれど、
もしも、演劇などの芸術支援を、本当に必要ないと思える人たちは、
これから先、
絶対に、映画も音楽も演劇も漫画もテレビも小説も、なーんにもない世界で生きていけるでしょうか?

私たちを支えて、
心を育ててくれているのは、
いつだって、芸術だと思います。

子どもの頃、
私が教えているようなドラマセラピーがあったら、
私はもっと救われていただろうなと思う時があります。

そして、今、ドラマセラピーなどが、学校で使われるようになったら、
精神的に助けられる子どもたちが、たくさんいるだろうと思います。

芸術がなかったら、
私たちの心は、飢えてしまうでしょう。

だから、アウシュビッツでも、どんな環境であっても、
私たちは、歌いたいし、踊りたいし、想像の世界の中で感動したいのです。
想像力があるから、
私たちの世界は進化してきたのです。
そして、想像力は、芸術を通してしか、アクセスできないのです。

 

舞台芸術の代用品はない

 

外出自粛の影響で、インターネットを使っての活動が増えています。
私もドラマセラピーのワークショップを、インターネットを使って
何度かやっています。

もともと、インターネットが大好きな私は、
個人セラピーもネットを使っていますし、自分の習い事も、ネットでできるものを好んでやっています。

でも、インターネットは役に立ちますが、万能ではありません。

今、インターネットで芸術的活動をやっている人たちは増えていますが、
それは絶対に「代わるもの」ではありません。
単なる「新しいもの」です。

zoomでやっているようなワークショップができるようになったことは
嬉しいことです。
なかなかいいとさえ思っています。

きっと、この世界も学びながら、腕を磨きながら、続けていくことになると思います。
でも当然ながら、
今までの通りのドラマセラピーだって続けていきます。

 

そして、
舞台芸術に代わるものは、絶対にありません。

グロトフスキが、なぜあんなにも俳優のトレーニングに力を入れたのか。
それは、俳優の仕事が人類の本質を表現する、重要なものだと信じていたからです。

そしてその結果としての芸術作品は、観客がいてこそ成立するものであり、
それは、俳優と観客の、生の交流のことです。

インターネットでも交流はできます。
でも、舞台芸術が産み出すものは、ネットでは生まれないのではないかと思います。

例えていうなら、
ネットで恋愛はできるし、コミュニケーションもできるし、
結婚式さえできるし、夫婦間の関係を育てることもできるかもしれないけれど、
ネットだけの関係では、子どもを授かることはない・・・という感じ。

だから、私たちは、
そのライブで生み出される何かを得たくて、舞台を観に行くのだと思います。

一時的な閉鎖で、演劇は死んだりしない。
でも、それを支える人たちが一時的な閉鎖で、生きていけなくなるなら、
彼らを守らないといけない。

趣味でいいわけないのです。
プロの芸術家がいない社会は、ものすごく貧しい社会と言ってもいいでしょう。

 

これからの時代は、本気で心を大切にする方向に行くべきだから

 

私は自分の娘が、
芸術に触れて生きていってほしいと願っています。

これから親になる世代がみんな、
芸術は誰にとっても重要なものなのだと、知っていてほしいと思います。

イギリスに住んでいた頃、
ナショナルギャラリーで、子どもたちの団体が、大きな絵を前に、
キュレーターの方と、いろんなお話をしていたり、
お芝居を観にいった時に、子どもたちの団体がノート片手にメモしながら観劇しているのをみた時、
いいなあ、と思ったものです。
(だいたい、ナショナルギャラリーなど、美術館が無料ってのもいいわよね!!
ちゃんと、国民の財産として、国が支援し、大切に守っている証拠です)

本当はいわゆる商業演劇よりも、アバンギャルドな演劇が好きな私が観に行く芝居なので、
スタンダードとは言えないものなのに、
子どもたちが観に来るんだーと感動したことも、覚えています。

イギリスの教育がいいと言っているわけではないけれど、
芸術に対する理解は、大きな差があると思います。

芸術が支援されて当たり前の国では、
きっと
「好きなことをしてるんだから、我慢しろ」なんてこと
思いもしないでしょう。

芸術が大切にされる文化では、絶対に、精神的な豊かさが育てられていくと思います。

お金も産み出さない演劇をしていたグロトフスキだけれど、
彼がリサーチを続けたおかげで、
世界中に、グロトフスキの影響を受けた人たちがいます。
私もその一人。
彼のおかげで、私は今ここにいるのです。
そして、彼の名前を冠したセンターは、ポーランドにもイタリアにもあり、
後継者たちが、リサーチを続けています。
これこそ、財産です。

芸術を支援することで、私たちはもっともっと、豊かになれる。
精神的にはもちろんのことだけど、
新しい時代の中で、精神的な豊かさが、物質的な豊かさをもたらすことが
きっと証明されていくはずです。

だから、多くの人に、
劇場の一時的閉鎖は、
私たちには大問題だと知って、
子どもたちの未来のためにも、
芸術支援の必要性を、感じてもらえたらいいなあと思いながら、このブログを書いてみました。

お読みくださりありがとうございました。

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