2020年の7月に、
奇跡のコースの日本人の第一人者・香咲弥須子先生の
zoomセミナーに参加しました。
ああこんなセミナー、毎週聞いていたい。
たくさんの学びと奇跡のコースへの理解の進む
素敵な時間でした。
その時に、この考えっていいなと思ったことの一つを
ここに書いてみたいと思います。
目次
本当の私とは誰か?
奇跡のコースについて、ここでは詳しく説明は書かないのですが、
まずは、簡単に、
本当の私とは誰か、というところを書いておきたいと思います。
本当の私というのは、
不安や心配などのネガティブな感情に振り回されている私ではなくて、
安心と平和の中に座っていられる状態にある私です。
この「平和な状態」はなかなか訪れないし、
日々忙しかったり、色々考えていると、この瞬間はなかなか持ちにくいですが、
だから瞑想したり、奇跡のコースのレッスンをやったり、
私の場合は、ヒーリングコードをやるのですね。
この自分に戻ることで、
私たちは、一瞬でも自分の本来の姿を思い出せるのだと思います。
そして、この本来の自分と繋がることが、本当の幸せへのキー。
先が見えないのは、奇跡の前兆
奇跡。
それは、きっと、今とは違う目で、世界が見えることを言うのだろうと思います。
だから奇跡のコースでは、知覚を癒すというのだと思います。
普段の間違って物事を見たり聞いたり判断してしまう知覚ではなく、
愛に基づいて見ることができるようになること・・・
奇跡とは、そうやって愛の目で世界を見えるようになれることなのでしょう。
お金がないところに、お金が降ってくるような
べたなことを「奇跡」というのではなくて、
私たちは本当に夢を見ているだけで、真実の世界は
こんなんじゃないと知ることができること。
そして今、こんがらがってわけが分からなくなっているところから、
一瞬のうちに解放されたような感覚が持てること。
奇跡というのは、
こういうものなんじゃないかなと、
今の私は思っています。
なんにしても、
今、苦しいとか、うまくいかないと思っているところから、
全く違う目線で世界が見えたなら、
それは奇跡ですよね。
先が見えないと思う時、
私たちはただただ不安で、真っ暗闇の中にいるような気がしてしまうけれど、
「それは、奇跡の前兆」だと、香咲先生はおっしゃいました。
そう言われると、
なんだか救われたような気がします。
本当は今この瞬間にしか存在しておらず、目の前しか見えていないはずの私たちが、
先が見えるわけはないのにね。
先が見えるというのは、
自分で勝手にコントロールしようとして、勝手に予定した未来でしかなく、
それは、
本来の自分の可能性や奇跡を信頼していないことになっちゃうもの。
目の前のドラマから離れてみること
私たちは色々と悩んでしまって、
不安のあまりに、勝手に未来のストーリーを作り始めてしまいます。
それが「エゴのドラマに入り込む」ことなんだけれど、
そこから離れてみること、
「ああこれって、エゴが見せている世界だったわ!」と気づくことができる。
それを先生は
「ステージから降りる」という表現をされました。
エゴのドラマに入り込み、正しく見ることもできずに、
その中で怒りや悲しみなどに振り回されるのではなく、
観客として、そのドラマを見てみることができれば、
エゴに囚われた自分を見出し、本当の平和とつながる自分に戻ることができるのです。
あなたの夢は、そんなんじゃなかった
エゴの私たちはいつでも、勝手に未来を予想して、
勝手に結論を出そうとします。
そして自分が望む筋書き通りじゃなかったとき、
誰かや何かのせいにして、
うまくいかないと思い込んでしまいます。
奇跡のコースでは、
私たちは、自分が望むことが何かも知らないと言い切ります。
そして、
夢や目標だと思っていたことも、
「あなたの夢は、そんなんじゃなかった」と香咲先生はいうのです。
自分が望むことが何かも知らない!?
夢がそんなんじゃなかった!?
あんなにもノートに書いて、引き寄せようとしていたことなのに、
本当はそんなもの、夢じゃなかったの?
あんなに目標立てて、頑張ってきたはずなのに?
びっくりですよね。
でも、私たちは、主に不安にとりつかれた、本来の自分ではない状態で、
少しでも自分を安心させようと、
目先のことをどうにかしようと動き回る性質があるわけで、
本当の自分が望むことなんて、考えていません。
本当の自分と繋がり、安心してこの世界を見ていたら、
こんなにあれこれ悩んで考えて、計画を立てることもしない。
そもそも、本来の自分とつながることさえも
ほとんどないから、
平和な状態にある私が、人生に何を望んでいるのかなんて、わかるわけないのです。
思いもしていなかった展開が訪れても、
それさえも、神様のシナリオ通りだとしたら、
未来を予測できない頼りない私たちができることは、
「私が望んでいることはこんなことじゃなかったのかもしれない」と気づくこと。
何がなんでも頑張って、目標に到達することよりも、
私の夢は一体なんなのでしょう?
私には見えないから、私が本当に望むことを教えてください。
そこに導いてください、
とお祈りできることの、心地よさ・・・
頑張ってもうまくいかなかった自分を責めるのではなく、
その過程を受け入れ、
「私が欲しかったのはこれじゃなかったんですね。
どうしたら私は今この瞬間、愛と幸せと繋がり、自分が願うことを知ることができるのでしょう」
と問うことができると、
静かな喜びを内側から感じることができる気がします。
私たちはみんな不安な存在です。
だからこそ、自分でなんとかしたくなってしまうけれど、
そうじゃなくて、自分でなんとかしない方法、委ねることができると、
人生はもっと楽になるんだろうな、、、と思います。
物事がうまくいかない時、思い出したいことです。
時々、魂の栄養になる時間を持てるって最高ですね。
私はいつか絶対に、魂のお友達と学びの時間を持てる場所を
作ろうと思います。
今日もお読みくださりありがとうございました。
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