私は、よく魂のお話をします。
特に困難な出来事にぶつかったときは、魂の学びとして考えたいと思う。
そして魂レベルで考えることができれば、
たとえ大変でも、何か支えられているような感じもするし、
きっとうまくいく、とも思えるようにもなる。
私がなぜ魂の学びを大切にしているのかをお話ししたいと思います。
目次
人生は不公平?その答えがほしくて
私たちはみんな幸せになるために生まれてきた。
・・・はずだけど、でも、それが簡単に可能になる人と、そうではない人がいて。
世の中って不公平だといつも思っていた。
高校時代は、家がお金もちで、可愛くて頭もいい同級生を羨ましく思っていたことに始まり、
アフリカとかアラブとかではなく、たまたま日本に生まれたお陰で、平和に生きてこられることへ罪悪感を持ってしまったり、
事情があって親と一緒に住むことができない子どもたちのセラピーを担当したときには、
いつでも彼らにできることがあまりにも少ない自分を情けなく思ったり。
納得がいかないけれど、それぞれ与えられた人生を生きるしかない。
でもどうしてこんなにも不公平なんだろう?
その答えを探るために、私は死後の世界に思いを馳せるようになった。
死後の世界について考えてみる
死んだらどうなるのか、何故生きているのか、知りたくてたまらなかった私は、
その答えを探るために、20歳の頃、何度も瞑想をしていた時期がある。
そのとき、魂の世界に触れるようなとても暖かい感覚がして、死んだらちゃんとわかるから、まずは生きよう。
みたいな思いが内に湧いてきた。
それは私が頭で理解できることではないのだという感じもして、答えは分からなくてもいいんだという、変な安心感があった。
結局何の答えにもなっていないようだけれど、当時の私にはそれでよかった。
そして時が経ち、そんな私の悩みに一番明確に答えてくれたのが「魂」の存在だった。
思えばいつの頃からか、すでに前世の存在も信じていたし、前世療法なんかも学んだりしたけど、改めて納得させてくれた本がある。
それが、マイケル・ニュートンの「人生はなんのためにあるのか」
続編の2冊目は、「死後の世界を知ると人生は深く癒される」
この本は、魂レベルの学びについて私に確信をもたらしてくれた。
私たちは、もう数えきれないほどの輪廻転生を繰り返していて、
その繰り返しの過程で、みんな魂の成長のために、それぞれ学びの計画して、生まれてくるという。
だから出会う相手はみんな、魂の時代にお互い取り決めていた、学びの友。
その中には、私のために、悪い役を担ってくれている魂もいる。
そう考えると、全ての魂に本当か感謝できるはず。(通常は難しいけれどね)
しかも本によると、魂の世界に戻ってもまだ学びは続いているようで、
私たちは本当の愛を学ぶために課題を持って学び続ける存在なのだという。
それでも、魂の世界での学びはもっと愛の中にある感じがしたけれど、
地球の学びは結構大変らしくて、魂も、決意を持ってやってくるようだった。
地球での学びって、本当に大変なのね。うんうん。
本当かどうかは絶対に分からないことだけど、すごく納得できたので、私の中にすんなり入って来てくれた。
今私の基本的な姿勢は「奇跡のコース」にあるのだけど、
奇跡のコースは、理解するのも受け入れて実践していくのも難しいから、その前の段階として、魂の学びという考えはとてもいいとも思う。
どちらも愛という存在に近づいていくために精神的修行を通して学ぶことには変わりないし。
とにかくこの魂の学びという考え方が、私の中に入ってくれたおかげで、不公平という考えを持つ必要がなくなった。
本当は強い魂なんだ
基本大人のセラピーでは、
私は、その方の素晴らしさや乗り越えていく強さを見るので、かわいそうだと思ったことはない。
でも、親が育児放棄をしてしまい、施設などで育っている子どもたちが、いつか施設を出て行く時、
その後の生活がどれほど過酷かを聞かされてしまったときに、かわいそうだと、最初は、確かに思っていた。
彼らとのワークの中で、私は出来る限りのことをしたいと思いながらも、
でもそれがどれだけ小さなことだろうかとも痛感してばかりだった。
そんなとき、この本を読み、
魂のレベルで考えたら、こんなにも過酷な人生を選んできた彼らが、
どれほど強い存在なのかと、現実で見えている彼らの向こう側にある、彼らの本当の姿を
見てみることにした。
そして、彼らの顔を見ながら、真実に触れられたような気持ちになったことがある。
彼らは、かわいそうじゃなくて、本当に強い魂なんだ。
そう思えたことで、私は彼らの力を信じることができるようになった。
もしかしたら、私よりもずっと古い魂で、私にもたくさんの学びを与えてくれているのかもしれない。
これは、私の勝手な気休めかもしれない。
罪悪感を感じたくない私が、勝手にそう思い込もうとしているのかもしれない。
でも、そう信じることで、私たちは、もっと強くなれるような気がした。
表面的なことではなくて、もっと深いことに目をむける
私たちは、表面的な問題に惑わされてしまい、
真実を見るのが下手だと思う。
私たちは、肩書きや経歴、みため、年齢などで測るよりも、
本当はもっと大きな存在だ。
日常の雑事に追われてしまえば、自分たちがどれほど大きな存在だと信じることも、忘れてしまう。
そうすると、
目の前にいる嫌な人はずっと嫌な人のままだし、嫌なことからは逃げたくなるし、
不平不満ばかり言いたくなってしまう。
私たちが魂の存在で、本当は愛の存在であること、
私たちが学ぶべきことは、お金を稼ぐことでもないし、有名になって人から好かれることでもなくて、
一見不公平に見えてしまうこの世界の中で、
本当に愛の存在になり、喜びを持って生きることなんだ。
そのことを思い出させてくれるのは、魂レベルの目線がなければ無理。
そしてこのことがわかっていれば、
人生は、私たちを翻弄させる、めちゃくちゃなものではなくて、
私たちが自分で計画をしてきた、私たちのものなんだと思える。
そしたら、乗り越えられないことはないし、
それを乗り越えることで、私たちの魂はますます進化できる。
輪廻転生の回数だって減らせるかもしれない。
大きな視点で見れば、不公平ではないと思える
生きているといろんなことが起きる。
でもその全てが、ギフトであると知ることができれば、
そして全てが、成長のチャンスだとわかれば、困難にも、勇気を持って、
自分を信じて立ち向かえるようになると思う。
今この瞬間に、隣にいる人よりも損をしているように見えたとしても、
人生は、本当は不公平なんかではなくて、みんなそれぞれ自分のための学びをして
同じゴールに向かっているだけなんだとわかる。
この視点をずっと持ち続けるのは難しいと思う。
でも時々ここに戻ることができれば、本当の自分「魂の存在としての自分」とつながることができる。
そして、純粋に自分の素晴らしさに一瞬でも気づくことがきれば、
人生の課題は、ちょっと乗り越えやすくなるんじゃないかなと思う。
本当に、大切なことを思い出させてくれるのは、魂レベルで考えたとき。
だから私は、仕事の中で魂のお話をよくするのです。
今日もお読みくださりありがとうございました。
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