Mission

女性たちは、本気で性について考え、自分に誇りを持った方がいい。伊藤詩織さんが教えてくれたこと

最近、なんだかショックに感じてしまったことがある。
それは、パパ活の意味をようやく知ったこと。
それから、素晴らしいヒロインの伊藤詩織さんのことを考えた。
私たちは、本気で、女性であることを見つめ直す時期に来ているのじゃないかな、と思う。

だから、この記事を真剣に書くことにしました。

目次

パパ活ってなんなんだ

このところ、時々目にしていたパパ活ということば。
私はずっと、「シングルマザーで、子どものためにパパを探すこと」だと勘違いしていた。
でも、それではなんだか辻褄が合わないみたいだと、ある記事を読んでいたときに思ったので、
検索してみて、ショックを受けてしまいました。

パパ活って、結局のところ、援助交際とそれほど変わらないのでは?
つまり、「パパ」を探すってことなのね・・・

しかも、そのマッチングサイトがあると聞き、私はもっとショックを受けてしまったのです。

軽い言葉に変えて、性を安くすることを平気でしてしまうなんて。
その結果、本当に苦労するのは女性たちなんです。

もちろん、生活のために必要な方もいるのだと思います。
SNSで見つけたのですが、パパ活のために、外国語をいくつもマスターして、パパの出張のお供して通訳など
仕事上のヘルプをしている女性もいる・・・とのこと。
このレベルに行ったら、確かに立派な仕事ですよね。

いろいろな方がいると思いますし、誇りを持って仕事としてやっている方もいるとは思いますが、
ここでは、一般的なイメージについて、
女性が女性であることを軽んじていないだろうか?ということについて、
私が思ったことを書いていきたいと思います。

性を大切にできていない私たち

日本は心を伴う性教育がきちんとされていないなあとずっと思っていたので、
以前勤めていた大学で、学生向けに性について学ぶ授業を企画したことがありました。
助産師の方にお願いしたもので、私が思うほど心については取り上げてはいただけなかったけれど、
それでも、生徒たちには十分な情報が詰まっていました。

たとえば、日本の女子大学生と欧米の性産業に携わる女性たちと、
性病になるパーセーンテージが同じということ。
もう10年以上も前の情報ですが、それから大きく変わって改善された、、、ということはないのではないかな。

日本の女子大生の性病罹患率が、欧米のプロの女性たちと同じって、どういうことだと思いませんか?

ちゃんと自分を大切にすることを教えてもらえていれば、
女性が女性であることを、大切に思えていたら、こんなことになるはずがないですよね。

そもそも、援助交際であっても、パパ活であっても、たとえ性的なことがなかったとしても、
女性を売っていることには変わらないし、
女性がそうやって、性の対象としての女性を大切に扱わない限り、
男性は絶対に変わらないでしょう。

欧米の男性がみんなジェントルマンだと言っているわけではありませんが、
日本ほど性を軽んじている国を私は知りません。

欧米では、女性たちは一般的にもっと誇りを持っているし、
自らを「売る」なんてことは、自分を侮辱していることと考えるでしょう。

伊藤詩織さんというヒロインが現れた

伊藤詩織さんは、日本の歴史を変えてくれる存在です。
彼女の勇気ある行動に、私はとても感動しました。

世間では色々言われていますが、
初めて伊藤詩織さんのことを知ったとき、正直、私も少し嫌な気持ちがしてしまいました。

それは、以前少しだけ携わったことがある裁判を思い出したからです。

守秘義務があるので、ほとんどのことを書くことはできませんが、
裁判の結果次第で、彼女がえられるものが、彼女にとっては理想通りのシナリオなのではないかという
疑惑が起きてしまったのです。
もともと私ではなく、専門のカウンセラーが良いのではないかと、本人には勧めていたケースでしたが、
彼女は私を希望してくれていました。
それまで彼女は私のカウンセリングを受けてこられていたので、
私は彼女の抱えている問題をよく知っていました。
そして、その問題に関連して考えると、彼女にとって、この事件は、彼女の抱えていた問題の解決にもつながるものだということが、
気になってしまったのです。
彼女をサポートするためにも、ちゃんと知っておきたいからと、
その疑惑をクリアにするためにカウンセリングを進め始めた時、彼女からは返事もなくなり、予約していたセッションも来ず、
私が伝えていた専門カウンセラーにいくことにしたようでした。
ただその後一度だけ、彼女が予約なしに突然やってきて、
私に伝えたいことがあると話し出したことがありました。
突然で私も時間のない時だったので、10分程度の彼女の話だけで終わりましたが、
内容は、この件についての相手側の問題などだけで、彼女は私に知っておいて欲しいことだと言っていました。
その後彼女は二度と来ることがありませんでした。

それまでもずっと、私は彼女の気持ちを配慮した上でやっていました。
だから、余計に、彼女に「つかわれてしまったのだろうか?」という思いが残りました。
私には、彼女にとって有利な情報しかなく、疑惑は残ったまま。私に知られたくないことなのかな、と勘ぐりたくもなりました。

結局私はかかわらなくなったのですが、それでも経緯について、私の意見を聞かせてほしいと、調査関係者からインタビューはされました。
そのときに私は、
個人的な気持ちは伝えないまでも、多少疑問に思うことがあるという説明をしたあと、
やはり
「妻子のある男性が、自分の子どもの年齢と変わらないような若い女性に、手を出そうとしたということが、そもそも問題だと思う」
ということを、結果として話しました。

酔っ払って、彼女を触り、キスしたり、ホテルに誘ったという程度なら許されると思ってはいけないし、(彼女はお酒は飲んでいない)
結果何も起きていなかっただけの話であり、起きえたかもしれないのですから。
程度の差は関係なく、
恋愛関係にあるわけでもないのに、妻子のある男性が、無自覚に無責任に、そんなことをしてはいけないのだと思うから。
彼の中に、女性を軽んじるような考えがなかったら、こんなこと起きなかったかもしれないのだし。
性について、男性は女性がどれほど傷つくのか、想像さえできていないと思います。

結果、やはり男性側にはある程度の処罰が与えられ、
女性の希望が通ったようでした。

でも、これでよかったのかな、という思いは残ったままでした。
男性が失ったもののほうが大きいような気がしてしまったのです。

今回、その彼女のことを思い出してしまったので、なんだか複雑な気持ちがしてしまったのです。

もちろん、本当に被害にあったのなら、当然女性はトラウマで苦しむことになるのですし、
彼が妻子がありながらも、自分の立場を利用して、彼女に性的に近づいたことは確かなことなので、
それでよかったのかもしれませんが、
多少でも関わった私が、100%味方できる気持ちになれなかったことで、引っかかってしまいました。

だから最初は伊藤詩織さんのことも、少し疑いを持ちながら見ていました。
でも、彼女のことを追ってみていきながら、彼女がしていることは、
女性の歴史を変えるくらい大きなことだと思えるようになり、彼女のことを応援し始めたのです。

伊藤詩織さんが変えてくれた女性の歴史

BBCの伊藤詩織さんのドキュメンタリーを見て、初めて知ったことですが、
日本の強姦罪(強制性交等罪)は、2017年の法改正まで、100年以上変わらず、
窃盗よりも罪が軽かったのだそうです。
法改正は、彼女のケースがきっかけになったのではないかと思います。

日本は男性優位の社会だと、私も思います。
一見、女性は好きなこともできて、気軽な感じもしますし、実際にそういう面もあると思いますが、
でも、女性は相変わらず男性よりも下にあると思います。

伊藤詩織さんが実名で、裁判を起こされたことは、私たちに衝撃を与えたでしょう。
彼女自身、たくさんのバッシングに耐えながら戦い抜いてくれましたが、
事件そのものの痛みだけでなく、それ以降の心ない中傷にもたくさんたくさん傷ついたことと思います。

それでも彼女が私たちのために切り開いてくれたこと、
そして、こうやって真剣に考えるべきだと思わせてくれるきっかけを作ってくれたこと、
それこそが重要なことだと私は思っています。

この件については、大きく二つの意見で分かれています。
一方では伊藤さんを擁護し、一方では山口氏を擁護。
私たちは、自分がいうことが正しいと思っています。
ですから、伊藤さん側から見れば、彼女のストーリーが見えてきて、彼女が正しいように思えますし、
山口氏の言い分を聞けば、もしかしたらこれが本当なのでは?と思えてしまうこともあるでしょう。

私も両方の見方を読んできました。
それでも伊藤詩織さんを応援したいと思うのは、
女性の歴史を変えるという大切なことを、彼女が成し遂げてくれたからです。

当事者にとっては、どちらも辛く苦しいことですが、
当事者ではない私たちが、一番注目すべきなのは、どちらが正しいことを言っているのかではなく、
この事件が私たちに教えてくれることだと思うのです。

だって、裁判の結果がどうであれ、
どっちが正しいかなんて論争には、絶対に答えは出ないのですから。

私たちが知るべきことは、男性優位であり、性を軽んじているこの国で、
私たちがどう考えるべきか。なのだと私は思うのです。

この国での当たり前に疑問を持ってほしい

日本は、治安も良く安全だと信じられているかもしれませんが、
電車に乗れば、痴漢がいることが当たり前って、おかしなことですよね。

子どもを持ってますます思いますが、
この国で、女の子を育てることが、心配になってしまいます。

正しい知識ではなく、ポルノなどから知識を得ることは、性教育ではありません。

思い出すと、私の子ども時代、80年代の日本のテレビは、狂っていたと思います。
(今でもそうだというかもしれませんが、今よりもずっとずっと狂っていたと思う)

アイドルが出てくるのにもかかわらず、
子どもには過激すぎる性的な描写もあるドラマは、小学校のクラスのみんなが見ていたし、
その話題に入っていけないと、仲間に入れない感じがしていました。
でも、私の両親は、性的なものなど、タブーのタブーだったので、コソコソとテレビを見たりと、
本当は見たいわけでもないのに、気が弱かった私は、必死でした。

志村けんさんが出ていた番組では、医者に扮した志村けんさんが、
女性の裸を見ながら、胸を「揉まないといけないなあ」と言っていたことや、
南野陽子さんが出ていたドラマでは、年上の女性と下着の交換をしましょうと誘われる場面とかあったりして、
そんなのがいくつも、私の記憶に残っています。
子どもの私には、かなり衝撃であり、かつ、それが私の中の傷になっていたように思えます。
こんなのが、子どもがまだ起きている時間にやっていたわけで、
志村けんさんの番組なんて、そもそも子どもが見ていたもので、
おかしいなんてもんじゃないでしょう?

今でも、10代の女の子たちが、深夜番組などでほぼ半裸の状態でいるのを見ると、
なんとなく胸が痛むのです。
なんだか、歴史上の全ての女性が抱えてきた集合意識的な傷が、痛むように。

以前、トラウマの専門のセラピストの知り合いが、日本に来て、
「電車に乗ったら、半裸の女性の写真の広告とかがあって、びっくりしたわ」と
話していたけれど、
コンビニでもどこでも、簡単に手に入ってしまう雑誌類が、子どもがいる前に置かれていることなど、
本当はやっぱり異常なのだと思うのです。

会社員になれば、女性は、男性社員にお酌をするのが当たり前でした(私の時は)。

私たちはこんなにも毒されているので、わかりにくいかもしれませんが、
日本は性をものすごくものすごく、軽く扱っている国なのです。

以前、浜野さちさんの講演会に行ったことがありますが、彼女は、女性にはめずらしいアダルトビデオの監督です。
彼女は、男性が作るAVは見ていられない。あんなことが、普通の女性に強要できると、普通の男性が思っているなんておかしいと
話していました。
だから、彼女自身、女性の目線でAVを作ることに意味をもっている方でした。

そう、正しい性知識がない分、おかしな性的な知識を持ってしまうのだと思うのです。

一つ屋根の下のあんちゃんと同じように、伊藤さんも未来を見ていたはず

私が伊藤詩織さんを応援しているのは、
彼女が私たちに、性について考えるきっかけを与えてくれたこと、
そして未来を変えようとしてくれているからです。

覚えているでしょうか?
以前、「ひとつ屋根の下」というテレビドラマがありました。
(良いテレビ番組だってもちろんあります。基本私はテレビっこ)
江口洋介さん演じる長男役の「あんちゃん」を中心に、両親を失って離れ離れになっていた
兄弟姉妹たちが一緒に暮らす物語でした。
その中で、
次女の高校生の小梅ちゃんが、帰宅途中に男性に襲われるという事件の
エピソードがありました。
詳しいことはあまり覚えていませんが、
事件があり、妹を思う兄弟たちの意見はバラバラでしたが、
あんちゃんだけは、加害者の予備校生を訴えようと言い続けていました。
それは、小梅ちゃんが、あの事件を思い出して苦しみ続けないように、
ちゃんと未来を見て彼女を本当に守ろうとしていた・・・みたいなメッセージが心に残ったことを覚えています。

一つ屋根の下で一番覚えているエピソードです。
あのエピソードで、
本当に勇気を与えられた女性たちがたくさんいたみたいな話も聞いたことがあります。

伊藤詩織さんがしたことは、
あんちゃんと同じだったのではないかなと思います。

被害にあったからと言って、
下を向いて一生泣きながら生きていくのではなくて、
辛い経験を、自分を癒す力、乗り越える力に変え、さらには法律さえも変えてしまうだけの大きな力にすることができるのだと、
伊藤詩織さんも教えてくれたのだと私は感じています。

私は、乗り越える力があったのよ、強い人間なのよ

私がインターンのドラマセラピストとして勤務していた施設に、
ステイシーという黒人の女性がいました。

彼女はいつも、みんなハッピーになりなさい!と言ってばかりでした。
ほとんどの方がうつを抱えているその施設で、私のグループに来ると、いろいろな不満や不安、悲しい話が出てくる中、
ステイシーだけは、「いい加減にして!みんな泣かないで、ハッピーになりなさい!」
と怒ってばかりでした。
どっちかというと、ハッピーよりも怒ってばかりの人でしたが、本人はハッピーのつもりのようでした。

彼女は完璧主義者でもあり、私の英語が気に入らなくて、
それも文句をよく言われていました。
「その英語なんとかしてよ!」と言われても、私も困っちゃう。なんとかできないのでこんな英語なのよ・・・
彼女の言葉を受け止めつつ、グループを進めてはいましたが、彼女はかなり扱いにくい方でした。

そんな彼女でしたが、あるときに、
私のグループが、単なる悲しい思いを吐き出す場所ではなく、何か違うものを生み出しているのだと
気づいてくれたのでしょうか。
彼女が、私はレイプされたの・・・と語り出したことがありました。

この施設は、精神的な健康度があまり高くない方が多く、
過去のトラウマを扱うよりも、今自分が持っている力に焦点を当てることのほうが必要とされていたため、
私も彼女の話を、大切に受け止め、それを彼女の強さに変えていくためのワークにしました。

ステイシーは、「私は強いの。私は乗り越えたのよ。私は強い人間なの。私は今の私を誇りに思うわ!」
という言葉を最後に言ってくれました。

その後彼女は、私の英語について文句を言うこともなくなり、私のグループをいつも楽しみにしてくれるようになりました。

そして、彼女は自分の人生を書き始めることにしました。
そんなふうに、傷だったものを、力に変えるということは、セラピーではとても重要なプロセスです。

私たちには、もともと「強くなろうとする力」があり、辛いときこそ、被害に遭われたからこそ、その力が必要とされるのです。

 

どっちが正しいかではなく、私たちが本当に考えるべきこと

先ほども書きましたが、
伊藤詩織さんの件で、私たちが考えるべきことは、
そもそも、既婚の男性が女性を誘うなんて、
そもそも、若い女性が、気軽に飲みの席に行くなんて、
というどっちが悪い、どっちが正しいなどのようなことではありません。

私たちが考えるべきことは、
本来神聖なものであるべき「性」というテーマをどう扱うべきかということ。
自分自身が、どう考えるか、ということです。

自分が女性として、男性として、自分をどう見ていきたいのか、
どう社会と関わっていきたいのか。

それを真剣に考えるべきだと思うのです。

日本のように性を軽んじている国で、
私たちに与えられてきた情報は、ものすごく偏っていて、
私たちのほとんどは、性を大切に学ぶ機会さえ持ったことがないのだと思うのです。

日本は女性が住みやすい国か?

性的な問題はあるとしても、
確かに日本は、女性が暮らしやすい国かもしれません。

私たちは都合の良い時にレディファーストしてもらい、
都合の良い時に、男女平等を訴えています。

フィンランドに行った時、あまりに進化した男女平等の社会を見て、
うわ、怖い、と思ったこともありました。

それに、性に関していえば、男性だって、傷つきを抱えていると思います。

性的に力を持つことで、自分の力を過信してしまうのは、
それほど傷を抱えているのだろうと思うこともできます。
男性だからということで、大きなプレッシャーを感じている人も多いでしょう。
男性というだけで、大きな責任も負わされていると感じる人も多いでしょう。

確かに男性優位の社会ではあるけれど、
その男性優位の社会で、弱い立場に置かれてしまった男性は、もっとひどい扱いを受けているのかもしれません。
男性にだって性被害者もいるのですから。

以前夫と話をしていた時のことです。
「おそらく今でも世界最強なのは、白人の、体が大きくて、地位の高い仕事についている男性だよね」
と私がいうと、彼も同意しました。
そして彼が付け加えていったのは、
「それで一番辛いのは、低い立場にある、体の小さい男性だと思う」と。
そう、女性だけではなくて、私も男性にだって、辛い立場の人はいると思います。

日本だけでなく、世界目線で見ても、悲しいことに差別はなくなっていないし、
この点は今も変わらないのでしょう。

最強にはなれなくても、女性が女性であることを楽しめる。
多少の我慢があっても、女性であれば得をすることもある。
そう考えれば日本は、住みやすい国のような気がします。

そしたら、その立場をうまく利用したくもなりますよね。パパ活みたいに。

新しい時代を生きる覚悟

今回このブログを本気で書きたいと思ったのは、私たちが変わることで、
「性」をもっと大切に適切に扱えるようになるのではないかと思ったからです。

私たちが性について本気で考え始めてみたとき、
自分なりの意見を持ち始めたとき、本気の対話が始まり、
そこから新しい価値観が生まれ、
社会は少しずつ変わり始めるのだと思います。

女性が住みやすい国かもしれなくても、その裏で、伊藤詩織さんのような経験をしている女性たちは
やはりたくさんいるのです。
それを変えていくためには、性について真剣に考えるべきであり、
変化していくためには、新しい時代を生きる覚悟も必要だと思います。

それはまず、月並みになってしまうけれど、
誰もが自分のことを誇りに思えるようにしていくことが
結局重要なのではないかと思っています。

女性が、自分に対して誇りを持っていたら、
女性であることを軽んじられなくなるでしょうし、
そういう自分の価値をわかっている人が増えることで、
男性優位の社会は少しずつ変わっていきます。
そして男性も、自分も、女性も大切だからこそ、行動が変わっていくのです。
さらに、誇りを持つことができる人が増えていくことで、男女関係なく、傷ついた人たちも
癒されていくのではないかと思うのです。

答えはやっぱり自分を大切にする、ということじゃないかな

自分を大切にする。
それが本当にできれば、他者を大切にできるようになる。
男性とか女性とか関係なく、人と人が助け合えるようになる。

フィンランドで私が体験したのは、
ラップランドでのスノウシューズツアーでの出来事でした。

そのとき歩き慣れない雪深い森の中で、私は転び、
インストラクターの男性に、「助けてください」と言いました。
すると彼からは、予想もしなかった答え。
「NO! あなたが自分でこのツアーに参加すると決めたのです。自分の力で起き上がってください」

びっくりしてショックを受けてしまったけれど、後日フィンランドの友人に話したところ、
「うん、まあフィンランドでは男女平等が進んでいるからね。助けることで、女性だから助けたのか、とか
文句を言われたりすることもあるし」
とのこと。

あまりに厳しく冷たい感じがする、男女平等の世界の洗礼を受けた私が思うのは、
これは男女平等とかいう問題ではない。
人が人を助ける、助け合うことは普通に素敵なことよね。
でもこういう場面で、女性が、男性を助けることは、思いつかないかもしれない。
だから、結局助けられるのは女性だけってことになる。

私たちには性差はやっぱりある。だから、その弱い部分を補い合うのが素敵な男女平等社会じゃないのかな。。。

これからの未来、どんなふうに性が扱われていくようになるのかわからないけれど、
私は、
自分に誇りを持ち、女性であることに甘えるのではなく、強さも育て、男性も助けることができるような、女性になっていくこと。
もちろん、必要な時にはちゃんと助けてもらえる女性でもいること。

そういう風になれていたら良いなと思います。

あなたは、どんな風に「性」を考えますか?

超長いブログ、お読みくださりありがとうございました!

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