志村けんさんがなくなった。
しかもコロナで。
3月末のこの出来事は、日本中の、子どもからお年寄りまで衝撃を与え、
志村けんさんという存在の大きさを、改めて感じることになったと思う。
日本中が志村けんさんの死を悼んでいる時、
私は、少し違う思いを持っていました。
私にとっての志村けんさんという存在の意味。
彼の死は、私にとって、なんとなく、
「女性が軽視される時代から新しい時代に変わっていくこと」
の象徴的な出来事のような気がしていたから。
このブログでは、私自身が感じてきた、「志村けん」という存在に対する思いと
彼の死が私にもたらした想いについて書いています。
決して、ご本人を中傷するつもりもなく、
これは、私が体験した、「芸能人・志村けん」のイメージであり、
ご本人は、そのイメージとは違う存在だったのだろうと思います。
実際、芸能界で生きていくということは、
私は、とてもとても大変なことだと思っています。
芸能界というのは、どこよりも礼儀が重んじられる厳しい世界だと思うからです。
その世界であの位置まで上りつめ、それを維持し続けたことを考えると、
私が持つ彼のイメージは、全くの見当違いなのかもしれません。
志村けんさんのご冥福をお祈りするとともに、
彼の本来の姿は、私が持ってきたイメージとは違うであろうことも踏まえ、
私にとっての「志村けん」を書かせていただくことを
お許しください。
目次
「志村けん」は、私の一つのトラウマだ
志村けんさんの死の後、
いろいろな方のSNSのコメントを見ていると、
「子どもの時も、今も、お腹を抱えて笑った」
みたいな言葉がたくさん並んでいた。
みんな、志村けんさんという、国民的な芸人さんを本当に好きだったのだと思う。
でも私は、先に書いておくと、
「志村けん」は嫌いだった。
お腹を抱えて笑ったことなんて、一度もない。
いや、もしかしたらとても小さな頃、8時だよ、とか見てた頃、
笑っていたこともあるかもしれない。
でも、私は「志村けん」のユーモアが好きではなく、
覚えている限りでは、笑ったことはない。
それどころか、
彼は私にとって、「女性を冒涜する存在」だったと思う。
「8時だヨ、全員集合」のなかで、医者に扮した「志村けん」が、
女性の前に座り、
その女性の胸を揉む。
というものがあった。
当時の私が何歳だったのかは覚えていない。
でものその瞬間、とても気持ちが悪くなったことは覚えている。
言葉では表せないし、実際に「気持ち悪い」と思えたわけでもない。
ざわざわしていて、なんだか嫌な気持ちがしていて、
でもそれを、誰かに言ってはいけないような感じ。
これが私の最初の「志村けん」から与えられた、トラウマ的経験だ。
いつも思うけれど、私の子ども時代の頃のテレビ番組は、
かなり狂っていたと思う。
男尊女卑、人種差別、性の冒涜であふれていたと思う。
テレビだからよかったのか、
子どもが見るはずの番組でも、配慮はきちんとなされていなかった。
このシーンを見た時から、
私にとって「志村けん」は気持ち悪い人になった。
それでも彼はずっと人気者だったし、
周りの人と、こんな話もできないわけで、
私は、「志村けん」に対しての、よくわからない気持ち悪さをただ持つしかなかった。
私が嫌いなもう一つの定番コント
「志村けん」の定番じゃないかと思えるコントの一つに、
牛乳を何度も飲む、というのがあったと思う。
私は牛乳がものすごく苦手だ。
小学校の頃の給食の牛乳は、一番の地獄だった。
そんな私にとって、
あのコントは、ひたすらいじめにしか見えなかった。
彼ご本人も、好きで、面白くて、牛乳を飲んでいたのかもしれないけれど、
彼ではなく、他の人がやらなくてはいけない時、
私はますますなんだかモヤモヤしていた。
テレビでやれば、学校の男子は真似をする。
だから、こんな風に、
「志村けん」に対して、モヤモヤ感じ、気持ち悪いとさえ思っている自分が、
なんだかおかしいのかと思うこともあっただろう。
子どもなだけに、モヤモヤを言語化できずに、
そしてそれを誰とも共有できなかったことだけでなく、
みんなが楽しんでいる姿を見ると、
少し周りから離れてしまうような、怖さもあったかもしれない。
由紀さおりさんのために、辛くなる
彼の人気番組のバカ殿は、私が猛烈に嫌いなキャラクターだ。
でも、なぜそれでも「志村けん」を見ていたのかというと、
おそらく、それが「普通のこと」だと思ってしまっていたからかもしれない。
両親と見ていたことはなく、おそらく姉と一緒か、一人で見るくらいだったと思う。
両親と一緒では、彼のいやらしさや性的冒涜な表現が、
それを見ているだけで、
「悪いことをしている」と思わせるため、より辛くなっていたはずだ。
私がバカ殿を見なくなったきっかけは、
由紀さおりさんを見ているのが、苦しくなったからだった。
その苦しさをはっきりと感じてから、それ以来バカ殿を一度も見ていないので、
記憶は定かではないけれど、
バカ殿は、基本的に可愛いアイドルが扮する腰元ばかりを可愛がり、
由紀さおりさんに対して、ひどい扱いをする・・・という感じだった。
由紀さおりさんは、決して醜い方ではないのに、
「志村けん」の彼女の扱いに、私はとても傷ついていた。
そう、私だって、アイドルのように可愛くない。
そして、そんな自分を全否定されるような怖さも感じたのかもしれない。
可愛くなくては、存在してはいけないとさえ思えてしまうような、強烈な思い込みを
作ってしまったのかもしれない。
それでも頑張っている由紀さおりさんのことを見ると、苦しくなり、
耐えられなくなったのだと思う。
由紀さおりさんは、仕事として楽しんでいらしたかもしれない。
自分にある程度の自信があれば、傷つくことでもないし、
何よりも、単なる「演技」なのだから。
でも、子どもの目には、そんな風には映らなかったし、
バカ殿は、架空の存在というよりも、単に「志村けん」でしかなかった。
熟女好き芸人のおかげで、私の記憶の由紀さおりさんが救われる
時は流れ、
「アメトーーク」などで、
熟女好き芸人という言葉が聞かれるようになった頃、
由紀さおりさんが、憧れの熟女として、登場したことがある。
それを見ていて、私はとても嬉しくなり、安心したことを覚えている。
由紀さおりさんが、キラキラ輝き、
本来の彼女が讃えられている姿を見て、
何かが救われた気がしたのだ。
子どもの頃に持ってしまった記憶、そしてそこから得られてしまった思い込みは、
私たちの無意識に蓄積され、
大人になっても、私たちの考えや行動に影響を与える。
小さな頃に、特にテレビ界の規制の緩かった80年代の「志村けん」を体験していれば、
程度の差はあれ、何かしらのネガティブな思い込みを
持ってしまった可能性はある。
特に、直接的に、性的な被害を受けていなくても、
テレビという力のある媒体で表現されることを吸収するのは、
子どもにとっては、かなりのネガティブな体験となるはずだ。
だから私は、
「志村けん」さんの死を耳にした時、「これで何かが終わる」というような感じがした。
「志村けん」さんを見ると、私の心にはいつでもざわざわ、ざらざらした
感覚が生まれるため、
私は基本的に彼の番組を見ないようになっていた。
志村動物園も、きっといい番組だったかもしれないけれど、
見たことはほぼない。
そういう意味で、変な言い方だけれど、
私は私の中の「志村けん」に、「変わる」あるいは「違う面を見せる」チャンスを与えなかった。
だから私の中の「志村けん」のイメージは悪いままだったんだろうと思う。
本当に何かが終わっただろうか?
私の中で、志村けんさんが亡くなったことは、
一つの時代を終える象徴的な出来事のような気がしている。
志村けんさんの死の後、
偶然か、芸人さんの、女性に関する不祥事のニュースもいくつか重なった。
その時にいつでも、志村けんさんが、比較されていたので、
やはり彼は、ただのいやらしいおじさんではなかったのかもしれない。
でも、彼の時代だったから許されていたことが、
今では許されないこと、というか、
人を大切にするという視点から見たら、当然やってはいけないことだという
意識が、私たちの中で育っていると言ってもいいかもしれない。
別に志村けんさんの死が、一つの時代を終わらせるわけではないけれど、
私の中で、
何かが終わったんだと思う。
そして、
男性、女性を超えて、個を重んじることや、
性を大切にすること(これはまだ日本では大きな課題だと思うけれど)などの意識が
もっと育っていって欲しいと思う。
テレビが、それをしていってくれると、もっといいなーと
テレビっ子の私は最後に思う。
これを機に、私は、自分の中にある「志村けん」に関する記憶、
男性のいやらしさや、女性軽視などの「思い込み」を作ってしまった記憶、
を癒したいと思います。
改めて、志村けんさんのご冥福をお祈りします。
今日もお読みくださりありがとうございました。
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